2011年5月30日月曜日

退院したぞ。

一部の方々は知っていたかと思うが、人生2度目の電波系病院、いや精神病院に入院したのである。
つい3週間程前の話だ。

しかし、つい1週間程前に自主的に退院した。

皆さん。
御報告遅れまして、どうもすいません。

なんで、退院したのか?
「異常に苛つくんだろうなこいつと絡むと」
という、トドみたいなおっさんがいた。
病人のくせに態度のデカイ大バカ野郎だ。
長い事、あの病院に入院しているらしいが、
いらつくんだよ。
てめえ。ぼけ!!!!!

そんな奴とは話もしたくねえんで、奴のいる場所には近づかない様にしていたが、運命のいたずらか、病院の策略か、そいつと同じ部屋に移動されてしまった。

はじめから分かってたよ。
この部屋じゃ長く持たねえなって。

で、翌日。
事件があった。

俺のいびきがうるさいのは一部では有名だ。
だから、俺のいびきに関して文句があったのもわかんねーでもねー。

しかしな。
おめえ、何様だ、こら!!!!!

寝てる俺を何度も起こそうとしたが起きなかったと言う。
ちょっと待て。こら!!!!!
なんでトドみてえなつらと風体したブッサイクな患者のおっさんが、患者の俺を起こそうとしてんの?
は?
普通は看護士さんに相談して、看護士さんにやってもらう事だろうがよ。
そういうのよ。
なんで、患者のおめえが患者を勝手に起こそうとしてんだ。こら!!!!!
おかしいだろうがよ。ぼけ!!!!!

で、詳しくは書かねーが、最後に完璧に俺が切れる寸前までいったとどめの言葉が

「あんた1人じゃないんだからさ」

だ。

おい。こら。トド!!!!!
俺が1人じゃないのは分かってっけど、おめえは何様なんだ。こら!!!!!
おめえが、1人で騒いでんのを俺はだまって(ふてくされながらだが)聞いてんだよな。
おかしいだろ。クソボケ!!!!!
1人じゃないんだからよ!!!!!

しかし、そこで、暴言を吐いたり、暴力に訴えてはいけない。
なぜなら、そこで暴言、暴力を行使すると、強制退院させられるからだ。
そうなると、おそらく、あの病院に通院もできなくなるだろう。
せっかく、役に立たない医者から、頼りになりそうな先生に変わったのにそうなると、ひじょうに残念な事になる。

だから、そこは耐え、まずは、看護士に相談した。

「あのおっさんと同じ部屋にいると近い内に切れるし、あっちも黙ってはいなそうなおっさんだから、下手すれば殴り合いにでもなりかねない。それは、病院側も望んでないでしょ。俺も強制退院とか望んでない。だから、あのバカと違う部屋に移動させてもらえないですかね」

すると、
「よくわかりました。上司に相談します」
と丁寧な対応をしてくれた。
どうも、病院内でもあのバカは問題視されている様だ。

しかし、しばらくすると
「月末迄ベッドの空きがでないという事がわかりました。そうなると.....その間耐えるというのは.....きついですよね...........」
と言ってきた。


「無理ですね。切れますね」(苦笑)
「最近精神面のコントロールができずにすぐ切れる。だから、それを直す為にここに来た。でも、あのおっさんと同じ部屋で過ごすという事は入院前より切れやすくなるなるという事なんで逆効果だよね」

と言い放ち、その夜、俺はマイケル・マイヤーズという退院予定の患者と入れ替わってまんまと脱走した。
ルーミスという医師が執拗に追ってきたが、俺はそれを全てうまくかわした。



でもな。
これで終わりじゃねーんだよ。
あのトドみてーなおっさん。
ジジイ。
てめえは、俺が今年中に殺す、
いや、ぶち殺すリストにめでたい事に入る事になったぜ。
おめえのなめーは知らねー。
だから、ここで、本名出して、攻撃したり、掲示板に名前出して殺人予告する事もできねえ。
てめえの顔写真と名前を入れて『こいつマジキチガイだから注意!!!!!』っていうビラを病院周辺に巻く事もできねー。

だがな、おめえの事は常に監視してぶち殺すタイミングをはかってっかんな。ぼけ!!!!!!
おめえは死ぬんだよ。ぼけ!!!!!
もう一度言う。
おめえは近々死ぬ。
俺にぶち殺されるんだよ。クソが!!!!!
念の為もう一回言っとく。
おめえは俺にぶち殺されるんだよ。
近々な。
死ぬんだよ。ぼけ!!!!!

どうせ、キチガイ病院に長い間入ってんだから、死んでも変わんねーだろ。
おめえのそのくそみてーな人生に終止符をうってやるっていってんだから、感謝しろ。ボケ!!!!!

とにかくおめえの事は近々ぶち殺す。
黙って、死ねや。
泣いても、土下座しても遅えーからな。
てめえは死ぬ。
脳みそぶちまけて、腹わた引きづり出してぶち殺すかんな。ボケ!!!!!




俺は"キャプテン・スポールディング"の様に舞い、"オーティス"の様に刺す。



いろいろな殺し方があって迷うところだ。
しかし、やはり1位のやつだろうか。



やっぱこれだな。
チェーンソー。
あのクソっつうか、ハエのたかったウンコみてえなトドみてーな顔したおっさんの顔面とか体とかずたずたにジグソーパズルみてーにバラしてぶち殺す系だな。







































読者の皆さん。
楽しんでいただけました?

2011年5月11日水曜日

すまんが震災の事に関して書くという括りはやめる事にする。

俺は、いくつか前の日記に於いて「しばらくこのブログは震災関係の事に関してかかせてもらう」という様な事を書いたが、ちょっと勝手だが、その括りをやめる事にする。

実は、ちょっと前から、俺自身が震災の日から現在迄に、見たもの、感じた事、そして、友人から聞いた事などをまとめてみようと思って文章を書きはじめたのだが、あれほどひどい事があったのにも関わらず、その記憶が薄れていたり、大事に想っていた女性の死を知った事による個人的な精神状態の変化があったり、好きな女性に好きだという想いを伝えて玉砕したり(笑)、感情のコントロールが上手くできずに友人に罵詈雑言浴びせたり(その後和解しましたけどね)、まあ、いろいろあってなかなかまとまらない。
だから、その文章に関しては、今後も書き足したり修正したりしながら、ある程度公表できる文章になった時点でアップしたいと思っている。

また、今後の宮城県内の状況の変化に関しても、不定期ではあるが、書いていこうとは思っている。

ただ、今の俺の精神状態で、震災の事だけに括ってしまうのは正直しんどいというのがあるし、本来、俺がここで書きたい事が書けなくなるという部分もある(まあ書きたい事とか言っても、まあ、キ@ガイ系の文章とか、くだらんガセネタとか、趣味的な話とか、そういう他人にとってはどうでもいい事だが.....)。

だから、震災括りはひとまずやめようと思う。
その事に関しての記事を読みたいという人も中にはいるかもしれないが、なかなかしんどい作業なので勘弁してくれ。
少しずつ書いてはいくから。

ただ、これだけは言っておきたい。

宮城県が、震災前の様な状態に戻るには、おそらく10年、もしかしたら20年以上かかるだろう。
そして、沿岸部に関しては元の状態には戻らないかもしれない(あの津波を経験した人々が、また沿岸部に住みたいかというと、おそらく圧倒的に住みたくない人々の方が多いだろう)。

だから、本当の意味で
『宮城県に降り掛かった震災が終わった』
と言えるのは20年以上先になるかもしれない。

被災した人々も、俺の様に内陸部に住んでいて目に見える被害をほとんど受けなかった人々も、皆、何かしら、失ったものはあるだろう。
物の見方、価値観などを根底から変えられてしまった人々も多いだろう。
そして、全てのものが元にもどるという事はないだろう。

でも、各地域が、ある程度元の状態に戻った時、初めて
『震災が終わった』
と言えるんじゃないかと思う。

それだけ。
言っとく。