2011年5月11日水曜日

すまんが震災の事に関して書くという括りはやめる事にする。

俺は、いくつか前の日記に於いて「しばらくこのブログは震災関係の事に関してかかせてもらう」という様な事を書いたが、ちょっと勝手だが、その括りをやめる事にする。

実は、ちょっと前から、俺自身が震災の日から現在迄に、見たもの、感じた事、そして、友人から聞いた事などをまとめてみようと思って文章を書きはじめたのだが、あれほどひどい事があったのにも関わらず、その記憶が薄れていたり、大事に想っていた女性の死を知った事による個人的な精神状態の変化があったり、好きな女性に好きだという想いを伝えて玉砕したり(笑)、感情のコントロールが上手くできずに友人に罵詈雑言浴びせたり(その後和解しましたけどね)、まあ、いろいろあってなかなかまとまらない。
だから、その文章に関しては、今後も書き足したり修正したりしながら、ある程度公表できる文章になった時点でアップしたいと思っている。

また、今後の宮城県内の状況の変化に関しても、不定期ではあるが、書いていこうとは思っている。

ただ、今の俺の精神状態で、震災の事だけに括ってしまうのは正直しんどいというのがあるし、本来、俺がここで書きたい事が書けなくなるという部分もある(まあ書きたい事とか言っても、まあ、キ@ガイ系の文章とか、くだらんガセネタとか、趣味的な話とか、そういう他人にとってはどうでもいい事だが.....)。

だから、震災括りはひとまずやめようと思う。
その事に関しての記事を読みたいという人も中にはいるかもしれないが、なかなかしんどい作業なので勘弁してくれ。
少しずつ書いてはいくから。

ただ、これだけは言っておきたい。

宮城県が、震災前の様な状態に戻るには、おそらく10年、もしかしたら20年以上かかるだろう。
そして、沿岸部に関しては元の状態には戻らないかもしれない(あの津波を経験した人々が、また沿岸部に住みたいかというと、おそらく圧倒的に住みたくない人々の方が多いだろう)。

だから、本当の意味で
『宮城県に降り掛かった震災が終わった』
と言えるのは20年以上先になるかもしれない。

被災した人々も、俺の様に内陸部に住んでいて目に見える被害をほとんど受けなかった人々も、皆、何かしら、失ったものはあるだろう。
物の見方、価値観などを根底から変えられてしまった人々も多いだろう。
そして、全てのものが元にもどるという事はないだろう。

でも、各地域が、ある程度元の状態に戻った時、初めて
『震災が終わった』
と言えるんじゃないかと思う。

それだけ。
言っとく。

2 件のコメント:

  1. 気持ちが色々と忙しかったのね。
    大変だったね。

    いろんな人がきっと、悲しみとか絶望とか複雑な思いを抱えたんだろうな・・・

    想像もつかないくらいの痛みとか・・・

    色々と時間がかかるよね。
    無理せず、ゆっくりね。

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  2. 返信おくれてすまない。
    俺の様に、特に目に見えて被災した訳でもない人間でも、いろいろな思考が錯綜してる。
    俺だけじゃなくていろかいろなひとびとがそういう状況だろう。
    だから、ほんとの意味での被災者の方々とは、比べものにはならないのはわかっているが、俺たちも、確実にダメージを負った。

    「がんばろう日本」などという、CMがあるが、はっきりいってイラつくよ。
    お前らに言われるまでもなく、被災者はがんばってがんばってがんばってるから。
    お前らはポンギや西麻布で合コンでもしてろって。してろって。

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